PCR検査数の話と行政あるある~意思決定プロセスと説明を見直そうよ
PCR検査数を増やしてくれ、受けさせてくれ、という声が高まったときの専門家会議や政府の説明の趣旨は、「PCR検査を増やすことはベターではない」だと思っていた。検査数を増やして軽症患者が医療機関に負担をかけるのは得策ではない、クラスター対策に重点を置くから検査数は「敢えて増やさない」、ということだと解釈していた。
違ったのか。増やさないんじゃなくて、「増やせなかった」のか。だったらどうして初めからそう説明しなかったのだろう。検査数を増やすことがベターだけれども、国内の事情でそれを選べないから、次にベターな方法を選ぶのだと、どうして素直に説明しなかったのだろう。
意思決定プロセスを曖昧にするから、信用が得られない。憶測ばかりが飛び交って、必要な軌道修正もできない。
と書きつつ、私自身行政にいるから「そんなもんだよね」とすごく納得する。一事が万事こういう感じ。
以下、行政・政治あるあるだと思う。
「できない」とか「失敗した」は絶対に認めない。言わない。隠す。
PDCAとか基本は言葉だけで意味はわかっていない。
税金使ってるから透明性が必要、とか全然思ってない。だから意思決定プロセスはエビデンスに基づく議論ではなくて、その時「それなりのポジション」にいる人のフィーリング。たとえそれ以下の人間たちがどんなに情報を集めて理論を組み立てて議論して「B」という結論を出したとしても、結局はそのポジションの人が「んー、A!」と言えばAになる。そこにBを覆す理論がなかったとしてもだ。ポジション絶対理論。だからその人が新しい情報をキャッチできなかったり前例のないことを創造的に考えられなかったりすれば、当然そこで終了。それと、だいたいこのポジションにいる人は、フィーリングで動くくせに「決断」はできない。もっと上の人や横並びの人に決断を促す。下手すると、「まぁ僕の言うことが正解というわけでもないし」とか言う。んじゃあ黙ってBで判子押せ、って思う。
こんな感じだから、当然、一般人向けに説明なんてできない。誰が、何に基づき、どう考え、決断したのか。プロセスがないんだから説明しようがない。で、いざ説明を求められると、そこからロジックを後付けで整理し始める&「一般人には言ってもわからないんだから」と、うわべだけテキトーな言葉を並べる。
こんなのを日常的に見てきた者としては、コロナで誰もイニシアチブを取ってない感じも、説明ではなく言い訳に走り始めた感じも、納得してしまう。これが日本という国。
コロナで揺さぶられて新たな時代が来るなら、こういうところを見直さないといけないと思う。
気になり出したら眠れない話~BUMP OF CHICKEN 天体観測
かなりどうでも良いのだけれど。
BUMP OF CHICKENの天体観測
この人たち、どこで天体観測しているのですか?
午前2時踏切に望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい
2分後に君が来た 大袈裟な荷物背負ってきた
始めようか天体観測 箒星を探して
青春時代の思い出がたくさん詰まった曲、今でもあのイントロを聴くだけで、切なく甘酸っぱくなる。
大好きな曲。
今までまったく気にしなかった。
なのに今、突然に気になり出して、眠れない。
踏切で天体観測しているのか…??
なぜ?電線が邪魔ではないのか??
バンプファンなら常識の逸話とかあるのかな。
誰か教えてください。。
アトピー竹酢液吹き掛けプレイ ~夫の脱ステロイド2週目
夫の脱ステロイド開始から、丸々一週間が経った。
やっていることは、
- ステロイドを塗らない
- 保湿も塗らない
- お風呂には入らずシャワーも時々
そして
- 竹酢液を顔より下にスプレーする
先週からかかり始めたお医者さんでは上の3つと食生活を変えることを指導されて来たのだけれど、最初の3日くらいは眠ることも出来ず、それによる消耗が激しかった。
で、どなたかのブログにあった竹酢液の原液を吹き掛けるというのを試し始めた。
夫が使っているのはコレ↓↓
彼の見立てはこんな感じ。
➡️結果、化膿したり、荒れたりしている
竹酢液には強い殺菌効果がある。そして、強酸性。
吹き掛け始めて5日ほど。
本人曰く、効いている気がする!!らしい。
確かに、以前ほど、皮膚の奥深くから湧きあがってくるような赤みは見られなくなってきたように思う。まだまだ赤いし、ガサガサなんだけれども。
とりあえず今はこんな感じ。
開始前の写真を撮っておけばよかったな(^^;
何より夜眠れているのが、妻としても嬉しい。少しは見ていられる感じになってきた。
ただし……
この竹酢液吹き掛け法には重大な欠点がある。
それは……痛いこと!!
とにかく痛いらしく、風呂場でシュッシュしては
「うぉ〰️〰️」
「ひぃ〰️〰️」
「キョエーッッッ!!!」
と悶絶している。
私が背中に吹き掛けることもあるんだけど…
一体何のプレイだ!?という状況になる。
そういうのが好きな人に、1回1000円くらいでやってもらったらいいんじゃないかと思うくらい。
ちなみに痛みは大体1分くらい持続するらしい。
そして、痛みのおかげで痒みが消えるんだそうだ。
医学的にどうなのかはわからない。
でも、標準治療ではどうにもならなくなったので、本人が楽になるならこれもアリかなと思っているところ。
ただ、木揺としては、根本原因は内蔵か自律神経なのではないかと思うので、鍼灸とか、腸内洗浄なんかを試してみてはどうかと話しているところ。
この先もまた変化があったらシェアしてみようと思います。あくまで我が家の場合の話だけれど、誰かの参考になるかもしれないので。
アメリカンな伯母と卒業式 ~Thank you, aunty.
今週のお題「卒業」
大学の卒業式のことを思い出す。
十数年前のちょうど今日、父が亡くなった。突然死だった。
私はそのとき、大学卒業を前に友だちと海外旅行に出掛けていて、父の死に目には会えなかった。
帰国し、葬儀やらなんやらで息つく間もなく一週間あまりが過ぎた。
アメリカの伯母から連絡があったのは、そんなときだった。
伯母は、父の一番上の姉で、アメリカ人と結婚して以来50年近く日本を離れている人だった。私にとっては祖母のような存在だった。実は、卒論を書き終えてから友だちと旅行に行く直前までの2週間ほど、私はカリフォルニアに住む伯母の家に滞在していた。こんなことになるとは全く思わずに楽しく過ごしていたのが、既に懐かしい気持ちだった。
伯母は言った。
「あなたたちのそばにいてあげたいの。私がそちらに行ったらご迷惑かしら?」
そう言われて、仮に迷惑でも「はい迷惑です」とはまず言えまいなぁ、さすがアメリカ歴50年、と思いつつ、「迷惑なんてないよ、来てほしいよ」と答えた。
「じゃあすぐに行くわ。あなたの卒業式に出なければ!!」
あぁそうだった。卒業式だ。
父さんが生きていれば参列してくれるはずだったのに。そうか、オバチャン来てくれるのか、そうか……
伯母は本当にすぐにやってきた。
伯母が我が家に到着した翌日が、卒業式だった。伯母は母と一緒に参列してくれた。
私はサーモンピンクの母の着物に、レンタルの紺の袴を着けて、式に臨んだ。4年間学んだ学舎と、苦楽を共にした仲間との別れ。でもなんだか、心はついていかなかった。友だちとの会話で気を紛らわしながらも、笑っているのかいないのか、自分自身の心の動きがわからなかった。
そんなとき、研究室前の廊下から、おかしな話し声が聞こえてきた。
「あら~、あなた!とってもビューティフルね!!コングラッチュレイション!!」
「あなたも、とってもワンダフルよ!」
覗くと、伯母だった。
式の後、私が所属した研究室がどんなところか見たいと訪ねてきたところで、廊下を歩いていた私の同級生たち(当然初対面)に向かって話しかけていたのである。
同級生たちは、まっ黄色のジャンパーを羽織った白髪のお婆さんが、突然ルー大柴のような口調で話しかけてくるのだから、ビックリして固まっていた。
私は慌てて出ていって、「私のオバサンなの(^^;」と解説しなければならなかった。
伯母は終始ニコニコして、そこからしばし同級生たちと歓談していた。
帰宅して、この話で我が家は爆笑した。
私が伯母の真似をし、「みんな困ってたよ」と言うと、伯母自身も、母も、同居している祖母(母の母)も、手を叩いて笑った。
久々の、明るい空気だった。
伯母がそうやって同級生たちと絡んでくれたのは、後から考えると本当によかった。同級生たちは、私の家族に起こったことを知っていた。だから恐らく、私や母にどう声をかけたら良いか戸惑ったと思う。そこへあのパンチ力のあるアメリカンな伯母がやってきたのだから、変な遠慮も配慮も吹っ飛んだはずだ。おかげで、その後の祝賀会では楽しく過ごせた。
それから結果的に3か月、伯母は我が家に滞在した。2つしか年齢の違わない私の祖母と連れだって近所の鍼灸に行ったり、地域の集まりに参加したり。特に家事をやってくれた、とかではなかったと思うが、とにかく我が家を明るくしてくれた。
伯母は、良くも悪くも空気が読めない人だった。
それゆえに、私たちが疲れることもあったし、私たちを心配する親戚(伯母の妹たち)とぶつかることもあった。
空気が読めないのはアメリカ暮らしが長いせいかなと思っていたが、時々連絡してくれる伯母の息子たち(私の従兄、アメリカ人)は気遣いが出来ることに気付き、これは個人の特性の問題なんだなとわかった。
ただ、そんな伯母がいてくれたからこそ、我が家の3か月は湿っぽくなりすぎずに済んだ。
時間が経った今振り返ると、伯母への感謝はじわじわ増してくる。
伯母はそれから5年ほど経って、亡くなった。
結局あの3か月が、伯母と過ごす最後の時間になった。
そういえば、あの時私はちゃんと伯母に感謝を伝えただろうか…思い出せない。
伯母に、会いたくなった。
今年卒業するみなさん、心からおめでとうございます。
植松聖をつくる環境はあちこちにある~相模原障害者施設殺傷事件に思う~
おはようございます、木揺 葉子です。
気持ちのよい爽やかな朝ですね、みなさんの地域はどうですか?
そんな朝に重い話題です(スミマセン)。
津久井やまゆり園の事件が結審して10日余りが過ぎました。私は雨宮処凛さんの記事で、この裁判について読み続けてきました。
それでこの10日余り、ひとつ思うことがあります。
第二の植松聖をつくる環境は、私たちの身近なところにあるのではないだろうか…。
植松は、津久井やまゆり園で働き始めた頃、「この仕事は天職」「障害者はかわいい」と友人らに話していたそうです。それがいつからか、「障害者はかわいそう」に変化し、そのうちに「障害者はいらない」になったらしい。
この間に何があったのでしょうか。彼は元恋人らに、施設の実態を話しているそうです。ドロドロにした食べ物を流し込むだけの食事、車椅子に縛り付けられる利用者、命令口調の職員、職員から利用者への暴力。。。職場で先輩職員に疑問を投げ掛けるも、「2、3年すればお前もわかるよ」と言われ、植松自身も利用者を小突くようになっていったと…。
植松を擁護する気は全くありません。
私は彼がやったことを心底憎んでいるし、恐ろしいと思うし、許しがたいと思っています。
ただ、植松が職場で感じた戸惑いが、私にはわかる気がします。そこで価値観や倫理観をねじ曲げられる感覚も、わかる気がするのです。
明らかにおかしいこと・理不尽なことが「当たり前」になっている空間で、「なんかおかしい」という感覚を持ち続ける孤独感は半端ない。
周りの人間は揺さぶりをかけてきます。「おかしい」と投げ掛ける人間がいると、その空間の安定が妨げられるから。だから、疑問を抱くのは大人げないとか、そういうものだから仕方ないとか、上が言うんだから従うしかないとか、揺さぶってくるのです。「そのうちお前もわかるよ」は常套句。みんなそうやってやり過ごしてるんだ、お前もそのうち染まってくるよ…
冗談じゃないと跳ね返せる人間はまだ良いです。それでも時に、自分を見失いそうになる。自分の培ってきた「正しい行い」の軸が、折れそうになる。
跳ね返せずに戸惑う人は、きっと自分なりに納得する方法を探すでしょう。そうしなければ、いつまでも苦しいから。
施設職員が利用者に暴力を振るうなんて本当だったら論外です。だけどそれが「仕方ないこと」になってしまっていたのだろうと推測します。
背景はきちんと検証されていないけれど、もしかしたら人手不足などの問題があって、その場その場を回していくために、「仕方ない」と思うしかなかったのかもしれない。
忙殺される中で、ひとりひとりが持っていたはずの熱意や優しさや倫理観が、捨てられていったのかもしれない。
そうして施設全体が、おかしいことを「当たり前」としてやり過ごすことでで成り立つ空間になり、誰も植松の抱いた疑問や戸惑いに寄り添ったり、答えたりすることができず、彼を孤独な自問自答の世界に追い詰めてしまったのではないでしょうか。そして、他の要因も相まって、彼は「障害者はいらない」で納得し、行動を起こしてしまった。私にはそう思えてなりません。
だとしたら、第二の植松を生むきっかけは、あちこちに転がっているのではないかと思うのです。
三権分立を平気で歪める議会対応や、都合の悪いデータを伏せる県民対応や、目的不在の事業推進が「当たり前」になっている木揺の職場もそうだけれど、もっと言ったら、日本の社会全体が「おかしな当たり前」に包まれているのではないかと思えてならないのです。
「仕方ない」で済ませていいことと、よくないことがある。声をあげることで変えられることもある。そう思いたい。
だけど現実は違うのかもしれない。「おかしな当たり前」は、国政から地方自治から学校から家庭まで、あまりにも根深いものに感じる今日この頃です。
夫の脱ステロイドが始まった 不安を吐き出します
今週のお題「うるう年」
こんばんは、木揺 葉子です。
4年に一度のうるう日。
今、とても不安な気持ちでいっぱいです。
木揺の夫は、今、酷いアトピーに苦しんでいます。
4年前はこんなじゃなかった。
8年前、結婚した頃は、アトピーなんて無縁な人かと思っていた。
それが、ここ1、2年で急激に悪化しました。
原因が何なのか、よくわかりません。
ちょうど仕事がきっかけの鬱をやった後くらいから、目に見えて悪化したようには思います。
近所の皮膚科に通ってステロイドを処方され続けるも悪くなるばかりで、肌はボロボロ、顔つきもアトピー患者独特の感じになってきました。ついにステロイドが効きにくくなり、痒みで眠れず、辛い日々を送っています。
北海道の豊富温泉に湯治にも行きました。一時的に良くなりましたが、すぐに元通りの悪い状態に戻りました。
そして今日ついに、脱ステロイドの専門医を受診し、その先生のやり方で、脱ステロイド、脱保湿を始め
ました。昨日の夜に夫が受診を決めたので、私は正直、え??という感じでついていけていません。。
同時に、この先生が推奨されている糖質制限もやってみようとしています。
ただ、木揺としては、とても不安です。
脱ステロイドは、ものすごい苦しみを伴うものだと、豊富温泉で出会った経験者の方がおっしゃっていました。中には苦痛から自殺する人もいるのだと。だから相当な覚悟が必要なのだと。
夫は耐えきれるのだろうか、私は支えきれるのだろうか。一か八か、という気持ちだけれど、そんな覚悟で良いのだろうか。。
糖質制限にしてもそうです。全く真逆のこと(アトピーにはタンパク質を減らすのがよい、ご飯をしっかり食べるのが大事、など)を説くお医者さんもいます。
米を食べずに朝から肉をガツガツ食べる、なんて、これまで刷り込まれてきた私の食の価値観とはまるで違います。本当に??と、にわかには信じられず、混乱しています。
今日私は受診に同行しませんでした。だから余計に、このお医者さんへの信頼が築けておらず、納得ができないのかもしれません。
脱ステロイドは夫の状態を診た上での判断なのか、それともご自身のセオリーで万人に奨めているのか、本当に夫は脱ステロイドと糖質制限で良くなるのか。。
よくわかりません。。
だんだん他のことまで気になってきてしまいます。
夫は鬱は克服したけれど、日々ストレスを抱えているのではないか。もしかして家庭だったり夫婦だったりがストレスの原因になってはいないだろうか。。思い当たる節がないわけでもない。。
これから先どうなるのか、不安です。
一度、すべてリセットして、新しい暮らしをした方がいいのかもしれない。そんなことまで考えてしまいます。
4年後のうるう日、私たちはどう過ごしているのか。。まったく予想もできません。
感染拡大防止は諦めたのかと思ってた
こんばんは、木揺 葉子です。
小中高校一斉休校の要請から一日。
木揺の周りでも動揺が拡がっています。
木揺は、政府の基本方針発表以前の動向から、日本は国内での感染拡大防止は諦めたのだろうと思っていました。無症状でも感染していて他人に移す可能性があるのに、「軽症者は医者にかかるな、検査も含めて医療は重症者優先」 というのが既にメディアで言われていたのですから。ダイヤモンドプリンセスの対応だって、本気出してるとは思えなかったのですから。
でも、それはそれで "ひとつの答え" だと思っていました。つまり、
・ このウイルスは多くの人にとっては"ただの風邪"である
・ 検査をしたところで特効薬はないので、軽症患者も含めて検査する必要性はあまりない
・ 日本は感染拡大防止策ではなく、重症患者の治療を優先する "死者を出さない"ための対策に特化する
という考え方をすれば、感染を拡大させないためにアタフタするより、この方が様々な影響を緩和できると言えるとも思うからです。
政府はこう考えているのだろう、さすがに何も考えていなくて感染が拡がったわけではなかろう、と思っていました。そうやって、一国民として納得しようとしてました。
ただ、そう考えるなら、
・ 国民に対してこの結論に至ったプロセスを丁寧に透明性のあるかたちで説明する
・その上で、一般の人たちには、日々の生活で自粛などはせずに、フツーに過ごすことを要請する
・ただし、高齢者などのハイリスクグループの人たちは外出を自粛してもらい、そのための支援や補償をする
・また、パンデミックを防ぐために日本からの出入国は規制する(場合によってはオリンピックも中止か延期)
というのが必要だと思っていました。
なので、基本方針ではそういうことが発表されるのかと思ったら…
「重症者優先で軽症者は自宅療養(野放し)だけど感染拡大は防ぎたい」、というブレブレの内容。
一体どうするつもりなのか、まったくわかりません。
そして昨日の休校要請。そうなるなら、最初から"本気で感染拡大を防止するスタンス"を見せておけば良かったのに。。
それなら「もしかすると…」って準備もできたかもしれないのに。。
諸外国では、検査数を増やして感染者を隔離することで、感染拡大を食い止めようとしているようですね。
だからブレちゃったのかな…。足並み揃わなかったから。。
それとも……何も考えてないうちに後手後手になったのかな。。
いずれにせよ、来週からの混乱は避けられないでしょうね。どうなるのでしょう日本。。
やはり、ひとりひとりがやるべきことを考えて助け合うしかなさそうですね。
それは安倍さんの要請に応えるためではないです、政府に任せておけないからです。
そこは勘違いしないでほしいですね。