木揺葉子のつれづれ日記

思ったことを思ったままに。

日本は結局どうしたいの?新型コロナウイルス対策の基本方針に突っ込み その2

こんばんは、木揺 葉子です。

新型コロナウイルス対策の基本方針への突っ込み、その2です。

 

2. このままだと軽症者は野放しですやん!

 

罹患しても軽症であったり、治癒する例も多い。

 

風邪症状が軽度である場合は、自宅での安静・療養を原則とし、状態が変化した場合に、相談センター又は掛かり付け医に相談したうえで受診する。

 

というのが基本方針にあります。

 

要するに、「新型コロナは一部の人を除けば感染してもただの風邪レベルのウイルスであり、検査で感染がわかったとしても現時点では治療薬がない。結局自宅で安静にしているしかないわけなので、最初からそうするのが原則。むやみに医者にかかると、医者がパンクするし、リスクの高い人に移す危険性もあるし、重症者の治療にも支障が出るからやめてください」 ということ。

 

木揺も、これは理解できるなと思うのです。ひとつの正解だと思います。

 

ただし!それは、「もう感染拡大を防ぐのは諦めました、重症者を出さないことと、出た場合の重症者への治療を優先します!」 という基本方針であるなら、です。

 

というか、既に基本方針はそういうものに読めます。

なのに一方で、「感染拡大を抑え込みたい」という趣旨の言葉が散見されます。一体どっちなの!?と思いませんか??

 

軽症者は自己判断で外出自粛したりするわけですが、そんなことが、移さなくなる時期まで (健康状態観察が推奨されるのは2週間) できるでしょうか…?

 

基本方針が発表されると聞いたとき、国からの規制や支援が発表されるのだと思っていました。

なので、肩透かしを食らったような、がっかりで余計に不安になるような、そんな気持ちです。

 

また突っ込みどころが出てきたら書きます。

日本は結局どうしたいの?新型コロナウイルス対策の基本方針に突っ込み その1

こんばんは、木揺 葉子です。
新型コロナウイルス、日に日に感染が拡がっていますね。

そんな中で昨日出された政府の基本方針

うーん。。なんだか結局国としてどうしたいのかわからない。矛盾だらけに感じませんか?今日は、そんな「?」をまとめてみたいと思います。

1. 感染拡大防止したいけど、具体策は「お願い」レベルかーい!
基本方針には、

「感染の流行を早期に終息させるためには、クラスター(集団)が次のクラスター(集団)を生み出すことを防止することが極めて重要であり、徹底した対策を講じていくべきである。また、こうした感染拡大防止策により、患者の増加のスピードを可能な限り抑制することは、今後の国内での流行を抑えるうえで、重要な意味を持つ。」

とあります。また、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が2月24日に発表した 「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解」には、

「無症状や軽症の人であっても、他の人に感染を広げる例があるなど、感染力と重症度は必ずしも相関していません。」

とあります。
つまり、「感染拡大防止が重要な意味を持つんだけど、このウイルスは、無症状の人や軽症の人でも他の人に移しちゃうんだよね」ってこと。

えー、じゃあ、ちょっとでも症状があったら家にいなきゃいけないってことか!
実際、基本方針にも専門家会議の見解にも、

「企業に対して発熱等の風邪症状が見られる職員等への休暇取得の勧奨、テレワークや時差出勤の推進等を強力に呼び掛ける」
「風邪や発熱などの軽い症状が出た場合には、外出をせず、自宅で療養してください」

という文言があります。だけど・・・

いくら療養してくださいと言われても、強力に呼びかけられても、会社がそうしろと言ってくれなきゃ、雇われ人はどうすることもできません。そして、呼びかけられて呼応する企業ばかりとは、とても思えません。だって、そもそもテレワークの体制なんて整ってない会社もまだまだ多いし、社員に休まれて会社の活動が止まった分の損失は誰も補償してくれない中で「強力な呼びかけ」だけで対応する会社がどれだけあるのか疑問です。。。ちょっと咳が出るだけならマスクして出て来いよ!っていう会社が多いのではないかと思えてなりません。

だからここは、もっと強制力のあるかたちで、休暇取得や時差出勤ができるようにするのが国の役割なのではないでしょうか・・・?国に期待したのって、そこらへんではないのかと。
無症状でも感染拡大させてしまう可能性があるなら、極端な話、2週間は原則全員自宅待機!みたいな規制をかけてしまうくらいのことをしたらよいのでは?と思ったりもします。


まだまだ突っ込みどころがありますが、今日は一つにしておきます。次回は、軽症者は医者にかかるな、の部分を書こうと思います。

よく寝て免疫力を高めなければ!おやすみなさい。

日本の教育って…~国立大入試の日に思う~

こんばんは、木揺 葉子です。

日付が変わって、今日は国立大入試の日ですね。
受験生の皆さん、新型コロナやら花粉症やらで体調管理が大変な今年、ここまでよく頑張られましたね!どうか自分を信じて、力を出しきってください。答案用紙は志望大学へのラブレター。思いの丈をぶつけてきてください!

ここから先は受験生は読まないように!!

木揺は二度、大学受験しました。一度目は第一志望だけを受けるという無謀なことをやって、浪人して二度目も第一志望はダメで、第二志望の私立大学に行きました。
最終的に大学院で第一志望の国立大に行きましたが、振り返ると、私は第二志望大学の方が様々な面で合っていて楽しかったし有意義でした。

でもそんなことは受験生の頃にはわかりません。15、6年くらい前この日がどんなに恐ろしく緊張する日だったことか…今も夢に見るくらいです。。

さて。そんな日にひとつ思うこと。

先日、あるイベントで、オランダとデンマークの教育について、現地在住の専門家の方々からお話を伺う機会がありました。たくさん感激したことがありましたが、そのうちのひとつを紹介します。

ニールセン北村朋子さんのお話です(趣旨をまとめたものです)。

デンマークの学校に通う息子は英語が得意でしたが数学が苦手でした。先生からは『君は英語が得意で素晴らしいね。そこをどんどん伸ばしたらいい。数学は、もし将来必要が出てきたら、数学の得意な友達に助けてもらえばいいんだから。良いところを伸ばしましょう。』と言われました。どの先生もそうでした。」

このお話を聞いたとき、鳥肌が立つのと同時に、ふと自分を許せたというか、肩の荷が降りる感覚がありました。

実は私は数学が大の苦手です。小学校1年生の算数から苦手でした。というか、相対的にいつも算数のテストの点が低かった私は、「お前は算数ができない」と親から言われ続け、自分でもそうだと思い、何かに蓋をしてしまったのが始まりでした。

逆に、国語や社会科や英語は得意で、いつも満点近い成績でした。ならば数学は諦めればよかったのに、親からも先生からも
「算数・数学を頑張りましょう」と言われ続け、できないコンプレックスをずっと抱えながら大学受験までを過ごし、また色々間違って理系の分野を志してしまったことで、未だに数学の呪縛から解かれていない、という状況です。

そんなわけで、これまでの人生、「数学ができない、私」として生きてきてしまいました。

もし、私の親や教わった先生が、デンマークの先生のように言ってくれていたら。
もし、日本の教育が「全体的に満遍なくできることを是」として子ども同士を競わせるのではなく、デンマークのように「それぞれが自分の得意なところを伸ばすことで全体が補い合う」ことを目指してそれぞれを伸ばしてくれる教育だったら、私は「英語が得意な私」と自信を持って、コンプレックスを感じずに生きられたかもしれない。

人間だもの。得意不得意があって当然ですよね。

今、5歳の子どもの教育について、色んな国の話を聞きながら考えています。そして、こんなふうに思いがけず自分自身の人生を振り返ったりしているわけです。。

2月25日。人生をかけた受験に臨む皆さんに、それぞれの幸せに繋がる道が拓けますように。

新聞記者

こんばんは、木揺 葉子(きゆら はこ)です。

DVDで映画を観ました。
※ネタバレ含みます。

新聞記者 [DVD]

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多くは語りません。
ただ、多くの方に観ていただきたいと思いました。

実は木揺は公務員の端くれでした。

だから…松坂桃李くん演じる杉原の葛藤と苦悩の一端がわかります。この作品が完全なフィクションだとしても。
実際に、こうやって、大きな力や組織に捩じ伏せられ、自分たちの志や、人としての倫理観を捨てなければならない場面が、大なり小なりあります。

「この国の民主主義は形だけでいい」

映画の中の、内調トップの台詞です。
台詞はフィクションでしょうが、この国の現状を的確に表していると思います。

まだなんとも言えない衝撃が胸に残っていますが…そろそろ寝ます。おやすみなさーい。

猫に救われた日々 ~不登校にならなかった理由~

今週のお題「ねこ」

こんばんは、木揺 葉子(きゆら はこ)です。
2月22日、猫の日ですね。
木揺はネコちゃん大好きなのですが、猫アレルギー持ちでもあり…なかなかネコちゃんと遊べない日々を送っております。

そんな木揺、実は小学生の頃はネコと暮らしていました。

私が小学校に上がるのに合わせて、我が家は祖父母宅に引っ越したのですが、そこに先住民として暮らしていたのが、小次郎という雄ネコでした。今日はこの小次郎の思い出を書きたいと思います。

小次郎は、元野良猫。
祖父母宅の敷地内に住み着いて「次郎」と呼ばれていた野良猫(♀)が、近所の人が置いた毒エサを食べて死んでしまい(祖父は最期を看取りました)、その直前に次郎が産んだ仔猫を祖父が育てることにした、それが小次郎でした。

私が引っ越した当時、小次郎はイタズラ盛り。
カーテンの裏側やソファーの後ろに隠れた彼に突然飛び掛かられて、引っ掻かれて、泣いたことを覚えています。あれは遊びたかったのか、それとも、先住民としての地位を主張していたのか(笑)。そんなわけで、私は小次郎が怖くて、しばらくは仲良くなれずにいました。

でも、段々と距離は近づいていきました。
寒い冬の朝。いつもは祖父にしか抱っこされない小次郎が、そーっと私の膝に乗ってきたときの、なんとも言えない緊張感と喜びは忘れられません。いつの間にか仲良くなった私たち。小次郎は賢いネコで、お手やおかわり、しっぽパタパタ、といった芸ができたり、呼ぶと返事もしました。私が学校から帰ると、玄関まで小次郎が迎えに来てくれるというのも、日常になりました。

月日は流れ、小次郎は立派な壮年になり、私は小学校5年生になりました。
当時の私のクラスはいわゆる「学級崩壊」クラスでした。授業中に歩き回る子がいて授業が中断する、先生が注意してもおしゃべりが止まない、いじめが起きている、などなど。。。
いじめられていた子に味方した私もターゲットとなり、闘いの日々が続きました。それでも私は、学校に通い続けました。

学校に絶望しつつも、不登校にもならず、生き抜くことができた理由。その一つが、小次郎の存在だったなと、今思います。

帰宅すると、今はリフォームで無くなってしまった縁側に座り、ちょっと高い台の上に寝っ転がった小次郎の黄金色の体に頭を乗せ、学校での出来事を話しました。

「今日、学級会があったんだよ。Aちゃんへのいじめをやめようって。そんなので無くなるわけないじゃんね、いじめ。明日からもっと酷くなるかな。いやだなぁ。もう行くのやめちゃおっかな。。。」

当たり前ですが、小次郎は喋りません。励ましません。聞いているのかいないのか、目を閉じていたり、手で顔を洗ったり、あくびをしたり。だけど、不思議なことに、いつも話し終わるまでそばにいてくれました。
小次郎の呼吸と鼓動が規則的に聞こえる、人間より高い体温が伝わる、すーっと心が落ち着く。。。誰にも言えないことが、小次郎には話せました。そして、「まっ、とりあえず明日は行くかぁ。」と思えました。

小次郎は、私が中学1年生になった5月に、天国へ行きました。

どうも具合が悪いようだと気づいた祖父が、「明日、病院に行こうな」と言った直後、姿が見えなくなりました。いつもなら外に出かけていても夜には帰って来るのに、いつまで待っても帰ってこない。何日も何日も、帰ってこない。近所中を名前を呼びながら歩きましたが、姿は見えませんでした。
「猫は人に死に目を見せないと言うからなぁ…。」
小次郎を息子のように可愛がっていた祖父の悲痛な顔は、とても見ていられるものではありませんでした。
せめて最後に、ありがとう、大好きだよって言ってやりたかった。ちゃんとお墓を作ってあげたかった。

家族中がもう諦めようと思ったとき、ふと、母が思いついて、保健所に電話を掛けました。
すると、ちょうどこれから、我が家のすぐ近所へ、猫の死体の回収に行くことになっていると教えてくれたのです。
住所を教えてもらえたので調べてみると、そこは祖母の友人宅でした。すぐに連絡を取って出かけてみると、お庭の隅の小さな木の陰に、見慣れた丸い背中が見えました。あぁ、ここにいたんだ。。。不思議なくらい、彼の体はきれいでした。安らかな顔を見て、涙が止まらなかったのと同時に、ほっとしました。

今も、時々、彼のことを思い出します。あのフワフワの毛の感触や、濡れた鼻や、ザラザラの舌を、今も鮮明に思い出せます。小次郎とお別れしてから猫アレルギーが酷くなり、恐らくもうネコを飼うことはできないのですが、小次郎と過ごした6年間は、きっと私をこれからも支えてくれると思います。

あらら、書いているうちに猫の日も終わりが近づいてきました。
これから毎年、この日には小次郎を思い出そうと思います。

天皇陛下は一番偉い??~幼稚園児の一言から~

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こんばんは、木揺 葉子(きゆら はこ)です。

明日から3連休ですねー。(あれ、日付変わってる。もう今日からか!)
2月23日が天皇誕生日、24日が振替休日。
天皇誕生日」と聞くと、まだ12月を連想してしまう木揺ですが、お祝いの心でお休みを楽しませていただこうと思います。

さてさて。今日、木揺の息子(5歳)が幼稚園からの帰り道、こんなことを言いました。

「おかあちゃん、おうちに帰ったら天皇陛下のお誕生会をしようよ。だって天皇陛下は日本で一番偉い人なんだもんね。先生が言ってた。」

先に書きますが、木揺は象徴天皇制天皇陛下や皇室の方々を非難したり否定したりするつもりは全くありません。

ただ、「日本で一番偉い人」が天皇陛下だ、ということについては、そうだね~とは言えませんでした。
代わりに息子には、「日本で一番偉いのは、本当は、あなたや私や先生のような国民なんだよ」と伝えました。

幼稚園の先生が仰った「偉い」が何を指すかはわかりませんが、一般的な捉え方をしたら、偉い人は他の人たちより物事を決める権利を持っているとか、他の人を服従させることができる、といったイメージだと思います。

ですが、言うまでもなく、現在の日本の主権者は、国民です。
天皇陛下は、日本の象徴ですが、私たちを服従させる存在ではありません。

こんな言い方をしたら無礼だと怒られそうですが、木揺は、天皇陛下皇后陛下も、上皇陛下も上皇后陛下も大好きです。こんなにも世界の平和と日本国民の幸せを願い、祈ってくださる方は他にいらっしゃらないと思うから。日本の伝統や文化を、ご自身の人生と存在そのもので継承してくださるお姿を尊いと思うから。そういう意味では「偉い方」だと感じるし、尊敬の念が確かにあります。

でも「一番偉い」というのは間違いだ、と思うのです。

最近、私たちひとりひとりの主権者意識が問われている場面が多々あると感じるのは、私だけでしょうか?

政治家がどうやら好き勝手やっているぞ、となっても、国民の怒りが海外のように大きなムーブメントにならないのは、日本人が落ち着いていて品行方正だからというだけではなくて、「国は自分たちのためにあり、自分たちが築いていくもの」という意識が足りないからなのではないか…
もっと言ったら、そういう教育、主権者教育とか民主主義教育とかいうものを、私たちが受けてこなかったからなのではないか…

最近そう思えてならないのです。

そんな中での、今日の息子の一言。
とても考えさせられました。素直なお祝いの心とともに、この三連休、色々考えてしまいそうです。

さくらがさくと

こんばんは、木揺 葉子(きゆら はこ)です。

今日は、最近購入した素敵な絵本をご紹介。

『さくらがさくと』 作:とうごう なりさ 福音館書店

さくらがさくと (福音館の科学)

さくらがさくと (福音館の科学)

川沿いのいつもの道。毎日通るからこそ、ただ通り過ぎるだけの道。
それが、特別な場所になる時間。さくらの季節。
特別なワクワク感。老いも若きも、男性も女性も、
その儚くも凛とした花の美しさに心を動かされる。
その様子が、淡々と描かれる。

著者の素晴らしさは情景描写だけではない。
自然への鋭い観察眼と、それを忠実に描く画力は、とうごうさんの魅力。
ぜひ、さくらの木の微妙な変化に注目して読んでいただきたい。

天気予報で桜の開花予想が始まるとソワソワするのは、
私だけではないはず。街が束の間の魔法に掛かる季節が、今年もやってくる。
日本で春を過ごしてきた人なら誰もが共感できる作品。ぜひ手に取ってみて!